BIOGRAPHY :
インディーズ系作品からハリウッド超大作まで、出演作品の幅が広く、舞台でも活躍する演技派。チャーミングな笑顔で多くのファンを魅了する一方、商業的思考が強いハリウッド映画界を批判する発言も多いことが知られている。
両親ともに教師。弟はイギリス空軍のパイロット。
イギリス、スコットランドのクリフに生まれ、叔父である俳優のデニス・ローソンに影響を受けて俳優を志すようになる。(デニスは、のちにユアンが出演した「スター・ウォーズ」シリーズの旧3部作に出演していた)
1987年に俳優の道に進むべく、高校を中退。パース・レパートリー・シアターでスタッフ兼エキストラとして働き始め、初舞台を踏む。翌年には、ロンドンにある名門ギルドホール音楽演劇学校に入学。在学中の最終学年公演で一人芝居をし、エージェントにスカウトされた。卒業の半年前にTVドラマ「カラーに口紅」で主役に抜擢され、本格的に芸能活動を開始。以降、TVドラマを中心に出演を重ねていく。
映画デビューは、1993年の「Being Human(原題)」。1994年の「シャロウ・グレイブ」の演技で注目されるようになった。1995年には、ルームメイトだったジュード・ロウ、ジョニー・リー・ミラーらと映画製作会社Natural Nylon(ナチュラル・ナイロン)を設立(2002年、多忙のため脱退)。活動の幅を広げる。
1996年の初主演作「トレインスポッティング」では、それまでのトレードマークだった長髪を切り、スキンヘッドで、ヘロイン中毒から脱却を図る若者役に挑戦。作品は若い世代からの爆発的な人気を集め、イギリス国内の数々の映画賞を受賞、ユアンは一躍、若者のカリスマ的な存在に。
1997年のロマンチックコメディ「普通じゃない」ではキャメロン・ディアスと共演し、ハリウッドにも進出。1998年の「ベルベット・ゴールドマイン」では'70年代のロックミュージシャンに扮し、吹替えなしの歌声も披露した。1999年の「チューブ・テイルズ」では監督デビューも果たしている。同年のハリウッド超大作「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」には若きオビ=ワン・ケノビ役で出演。旧3部作でアレックス・ギネスが演じたオビ=ワンの話し方などを研究して大役に臨み、作品のヒットとともに世界的なブレイクを迎えた。
その後は、リドリー・スコット監督の戦争アクション「ブラックホーク・ダウン」('01)に出演、ミュージカル映画「ムーラン・ルージュ」('01)では、相手役のニコール・キッドマンとともに吹替えなしの美声を披露。ゴールデングローブ主演男優賞にノミネートされた。
世界的なスター俳優としての地位を確立したあとも、メジャー、インディーズ作品を問わず良質な作品選びをして、さまざまな役に挑戦しつづけている。また、アニメの声優や、バイクレースのドキュメンタリーなどでナレーションを務めることも多い。
2004年には、友人で俳優のチャーリー・ブアマンとともに、バイクでユーラシア大陸を横断する旅に挑戦。スコットランドからNYまで約30,395kmの道のりを記録したドキュメンタリー「Long Way Round」がTVシリーズで放映された。日本でも「ユアン・マクレガー 大陸横断の旅」としてWOWOWなどで放映されている。2007年5月から8月にも、同じくバイクでイギリス本土最北端のジョン・オグローツから南アフリカのケープタウンまで、アフリカ大陸を縦断する旅をし、「Long Way Down(原題)」として放映される。この旅には、アフリカでバイクを使って移動しながら医療活動を行っている人達を支援するチャリティという目的があった。
役に熱心に取り組み、作品中で裸になることも多い。本人曰く、『裸になるのには全く抵抗ない』とのこと。
2004年のバイク旅行に出る前、視力を上げるためのレーシック手術を受けた。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」のウィル・ターナー役候補の1人だった。
「007」シリーズの6代目ジェームズ・ボンド役の第一候補だったが、固定されたイメージが定着することを嫌い、オファーを断った。