BIOGRAPHY :
幼い頃から地元の劇団に所属し、活動。
1997年のオーストラリア映画「ブラックロック」でスクリーンデビュー。
1999年の「恋のからさわぎ」でハリウッドに進出。ジュリア・スタイルズとともに主演を務め、さわやかな演技で注目される。
2000年には「パトリオット」でメル・ギブソンの息子役に抜擢。一躍有名に。その後は主演作が続き、ハリウッドでの人気を確立。
2005年、アン・リー作品の「ブロークバック・マウンテン」でゲイのカウボーイ役を演じ、アカデミー主演男優賞とゴールデン・グローブ主演男優賞にノミネート。世界的にも知名度を高めた。
今後は「バットマン・ビギンズ」の続編でのジョーカー役(アメリカ人以外では初のジョーカーとなる)や、ボブ・ディランの伝記映画など話題作が控えており、ますます活躍が期待される若手俳優の1人。(ここまで、管理人が2006年に書いた文をそのまま残してあります)
ヒースという名前は、「嵐が丘」の主人公ヒースクリフから付けられた。(姉のケイトも同作のキャサリンから名付けられた)
2001年には、米ピープル誌の"最も美しい50人"に選ばれた。
2004年のオリバー・ストーン作品「アレキサンダー」では当初、アレキサンダー役にヒースの名前が挙がっていたが、結局コリン・ファレルが演じることになった。
プライベートでは、過去にへザー・グラハムやナオミ・ワッツなどと交際し、年上キラーと言われていたことも。
2005年に「ブロークバック・マウンテン」で共演したミシェル・ウィリアムズとの間に長女が誕生。(同作品のもう1人の共演者であるジェイク・ギレンホールが後見人になった。)その後、2007年に2人は破局。
2008年1月22日、急死。享年28歳。マンハッタンの自宅アパートで遺体で発見された。以前から不眠症のために服用していた薬と、当時かかっていたインフルエンザの薬を併用し過剰摂取したことによる事故死だった。
テリー・ギリアム監督の「パルナッサス博士の想像力」が撮影途中だったため、ヒースの死によって製作中止になるかと思われたが、その後コリン・ファレル、ジュード・ロウ、ジョニー・デップが代役に立てられ、製作が続行されることになった。ヒースの出演シーンも使用される予定で、これによりヒースの遺作は「ダークナイト」ではなく「パルナッサス博士の想像力」になった。