BIOGRAPHY :
高校卒業後に陸軍に入隊。除隊後はアルバイトをしながら、ロサンゼルス市立大学で経営学を専攻し、演劇科で演技も学んでいた。
1955年に映画デビューをしてから、しばらくは端役ばかりの下積み時代を送るが、1958年から出演したTVの西部劇『ローハイド』のカウボーイ役で、名前を知られるように。
1964年には、イタリア人監督のセルジオ・レオーネの作品『荒野の用心棒』に出演。その後もレオーネ監督の『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』に出演し、ヨーロッパや日本で人気を集めたことで、アメリカでもその活躍が認められるようになった。
1968年に、マルパソ・カンパニーを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で監督デビューを果たす。同年、ドン・シーゲル監督の『ダーティ・ハリー』が大ヒットし、人気を不動のものに。その後、『ダーティ・ハリー』はシリーズ化し、彼の代表作で代名詞となった。
しかし、人気を確立してからもハリウッドの大作に出演することはなく、自身のプロダクションから監督&主演を務める小規模作品を作り出していくという、いわゆるハリウッド・スターとは一線を画した活動を続けた。
そして、1992年の『許されざる者』でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、作品賞と監督賞を受賞。2005年には『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー監督賞を受賞。また、史上最高齢(74歳)での監督賞受賞という記録保持者にもなった。今や、ハリウッドを代表する名俳優であり、名監督である。
その『ミリオンダラー・ベイビー』では、アイルランド系移民の老トレーナー役を演じ、イーストウッド自身もアイルランド系移民の血を引いていることをカミングアウトした。
2005年には、太平洋戦争で米軍と日本軍が激戦を繰り広げた「硫黄島の戦い」を軸にした2部作の監督を務め、米国サイドから描いた『父親たちの星条旗』と日本サイドから描いた『硫黄島からの手紙』という2作品が2006年に公開される。
監督・出演だけじゃなく、作品によっては脚本や音楽も担当するなど、多才な人物でもある。
1986年には、カリフォルニア州カーメル市の市長に就任し、2年間の任期を務めた。
日本へは1962年の初来日以降、訪れることがなかったが、2005年に監督作『硫黄島の手紙』の撮影のロケハンのため、43年ぶりの来日を果たした。また2006年11月には、同作品のプロモーションのために再来日。
私生活では、1953年にマーガレット・ジョンストンと結婚し一男一女をもうけるが、1985年に離婚。その後、女優のフランシス・フィッシャーとの間に一女(フランチェスカ)をもうけ、1996年にニュースキャスターのダイナ・ルイスと再婚。ダイナとの間に生まれた娘モーガンは、自身の作品『ミリオンダラー・ベイビー』の1シーンに出演した。『父親たちの星条旗』では、息子のスコット・リーヴスが俳優デビューを果たしている。過去には、そのほかにも3人の隠し子が発覚している。